ライパの先導ってどんな人? BMW公認インストラクター齋藤栄治さんに迫る!
Riding Party インストラクター・ファイル ライパの先導ライダーって どんな人? イベント運営会社ユニゾンテックを経営するかたわらで齋藤栄治さんはプロライダーとしてインストラクターも務めている その半生はバイクとともに歩んできたチャレンジの連続でそれは今もずっと続いている―― 今回はそんな齋藤さんとバイクやライパとの取組みを紹介していこう。
BMW公認インストラクターでもありバイク系イベント運営もこなすプロライダー プロフェッショナルライダー齋藤栄治さん
バイクでチャレンジする 楽しさを伝えていきたい
バイクに興味を持ったのは、免許を取ってZ400FXに乗りはじめた5歳上の兄の影響だった。やがて中学生になると、通学路の途中にある空調設備工事会社に置かれていたRG250Γを見つける。 「バイク見たさに入り浸ってるうちに仲良くなったんです。
やがてアルバイトしないかと誘われて、夏休みの1カ月間、汗まみれで働いたら30万円も稼げた。そうしたらΓを3万 円で譲ってくれたんですよ。シリンダーが焼き付いてた不動車だったんですけど、必要なパーツを買って、その人に教えてもらいながら自分で修理して走れるようにしたんです。
16歳になってすぐ免許を取って、よく峠に走りに行ってました。ガムテープでヒザに空き缶を張り付けてる峠小僧ですよ(笑)」 第二次バイクブーム全盛期で、バイク少年はだれもが峠小僧だったといって過言でない時代だ。
「ずっとバイクに夢中でしたが、21歳の頃に広告代理店で勤務するようになり、バイクから少し離れました。しばらく経って、弟がサーフィンの大会に出るというので観戦に行ったんです。そこで弟がサーフィンをやっている姿を見たら、自分も何かをやりたくなって、レースに出場してみようと思ったんです」
インターネットもない90年代初頭、 ツテを頼ってレースの情報を集めるうちに少しずつ知人が増えていってコネクションが広がり、やがてSRX600でイベントレースに参戦するようになった。
「当時一番大きかったのは今でもBMWジャパンに勤めている武藤さんと知り合えたことですね。それからどんどんレースにのめり込みました。デビューレースは1月の寒いときで、レー スの段取りも分からないし緊張するしで、バタバタしたまま終わりました。どうにか完走はしましたけど、順位もよく覚えてないですね(笑)」
あるとき、BMW専門店フラットの故・柳澤勝由さんから「BMWで走らないか」と誘われた。柳澤さんといえばその界隈では伝説的な人物で、R100GSをチューニングしたマシンでレースを戦い、好成績を叩き出して周囲を驚愕させていた。
「フロントとリアのタイヤオフセットがズレているのを見て、真っ直ぐ走るのか不安だったり、初めてのBMWには戸惑いましたけど、意外なことにものすごく乗りやすかったんですよ。これで初めて表彰台に立てたんです」
そんなふうにして、齋藤さんはBMWでレースを走るようになった。 しかし2000年頃から国産車の2気筒マシンとの性能差が目立ち、レースの面白味が薄れはじめる。それと同時に齋藤さんのなかでくすぶっていた思いに火がつく。
レースへの執着はないがうまく乗れるようになりたいという思いは常にある
「純レーサーで選手権に出たいという気持ちはずっとあったんですが、生半可なことではできないから躊躇していたんです。でもやるなら今しかないと思って、2002年から2年間だけと決めて、TZ250を買って地方選手権に参戦したんです」
そのとき齋藤さんは33歳。社会人としての責任もある立場だった。しかし齋藤さんはそのタガを外し、レースに一極集中する。
「すでに結婚して6歳の子供もいたんですが、2年間はレースをやると妻に宣言して、家庭も仕事もそっちのけでした。ほとんど家に帰らず、船橋にあったSP忠男で毎晩のようにバイクをいじってましたね(笑)」
本業のイベント運営は実績を重ねてきたおかげで同僚に任せられるようになっていて、最低限の仕事をしておけば業務は回る。あるイベントでは会場にTZを持ち込み、イベント中ずっと整備していたこともある。
「国際(ライセンス)に上がること、全日本に出ることを目標にやってき て、2年間でそれを達成できました。それでも未練がなかったといえば嘘になりますが、約束どおり選手権レースには一区切り付けました」
それから1年ほど経った2004年、齋藤さんは独立してイベント運営や広告を手がける会社を起ち上げた。以来、毎年白馬で開催するBM Wモトラッドデイズ、GSトロフィーといった一般参加イベント、メディア向け試乗会などを運営している。
「BMWでレースをしていたことで人との繋がりが深まり、ありがたいことにBMWのイベントを多く運営させていただいてます。その縁でBMW公認インストラクターの資格も取りました。ドイツで2週間、合宿のように毎日朝から晩までバイクを走らせる生活で、楽しかったけれど講習内容は厳しかったですね」
そしてそれは齋藤さんの人生観を変える力を秘めていた。 「人にものを伝えることのむずかしさを痛感しました。人前でしゃべることは苦手でしたが、イントラのおかげでずいぶんと変わりましたし、バイクの面白さを伝える仕事がもっと楽しくなったんです」
イベント運営という仕事は、参加者をいかに楽しませるかがカギだ。そもそもそこに魅力を感じていたからこそ続けてきたが、インストラクターをやればやるほど、バイクでたくさんの人を笑顔にすることの面白さと大切さが身に染みるという。
「バイクは何歳になってもチャレンジできるすばらしい乗り物だと、近頃とくに感じています」 もちろん、だれかがバイクでチャレンジすることにも齋藤さんは精いっぱいサポートする。だからこそライパの先導も全力で挑み、休憩も惜しんで走り続ける。もしもライパで齋藤さんの後ろを走る機会があったら、チャレンジすることの面白さを全身で感じながら走ってみてほしい。