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【玉田誠】世界チャンピオンの可能性もあった先進的なフォーム【熱狂バイククロニクル】

TEXT&ILLUSTRATION/M.MATSUYA

今や監督やアドバイザーとして活躍する玉田誠さんを考察してみたいと思います。玉田さんは僕の中では、世界選手権の最高峰クラスで、日本人初の世界チャンピオンになれたのではと思う選手でした。岡田忠之さん、加藤大治郎さんに続く期待の星だったのです!

玉田さんはライディングフォームに特徴がありました。まさに現在のモトGPのトップライダーと共通する部分を持っていました。と言うよりも、先陣を切っていたイメージのライディングフォームをしていました。

’24年のモトGPチャンピオン、マルティン選手とのライディングフォームの比較を描いてみました。現役ライダーの中でも、マルティン選手のフォームは明らかに派手で、なんと腕から肩までが路面に接地してしまいます。派手に上体がインに突っ込んだフォームでありながら、しっかりとチャンピオンを獲ったわけですから、正解なのですね!

僕のレースビデオコレクションは、’83〜’24年までの42シーズン分、ビデオソフトと放送を録画した物を保存しています。’92〜’95年にはWOWOWで全日本の放送がされていました。

ですが玉田さんが全日本で頑張っていた’95〜’02年は全レースの放送が無かった時期がありました。毎週30分程の短いレース番組はあったのですが、残念ながらフルでレースを観ることはできませんでした。そんな時期に玉田さんは走っていたので、正直に言って’95年に全日本に昇格した以降玉田さんの存在を知りませんでした。

玉田さんは’98年まではGP250を走っています。’99年からはスーパーバイクに移りRVF750を駆り、その速さを際立たせ出しました。毎シーズン、2勝、3勝、4勝と優勝をしていきます。残念ながら全日本チャンピオンは獲れませんでしたが、鈴鹿8耐でも好成績も含め、大排気量マシンによる走りが認められました。そして’03年からはホンダRC211V+ブリヂストンタイヤでモトGPにフル参戦を始めたのです。

さらに’04年には黄色いキャメルカラーでの参戦となりました。シーズン前には「シリーズ5勝!」と語っていましたから、日本のレースファンは大いに期待していました。

玉田さんはこの’04年にブラジルGPと日本GPで2勝をマーク、表彰台にも度々顔を見せるようになりましたが、目標の5勝には残念ながら届きませんでした。

’05年からはタイヤをミシュランに変えることでさらなるステップアップと、どのタイヤでも速いことを証明しようとしました。しかし現実的には、決勝レースでは同じミシュランを履くトップライダーとは違うグレードのタイヤが配給されていたと、玉田さん本人が証言されています。日本のレースファンとしては非常に残念な話ですね。

でもこのグレード違いは以前からあって、特に’80年代からミシュランは配給するタイヤのグレードを分けており、勝てるタイヤ(Aグレード)は各メーカーのエースにのみ配給されていました。それを嫌ったチームロバーツはダンロップと契約して、タイヤ開発をしながら、ダンロップの勝てるタイヤ(Aグレード)で勝負していました。

そんなややこしい時期もあって、現在はワンメイクでイコールコンディションのタイヤが全ライダーに配給されているはずなんですが……。

レースの世界に「もしも」は禁句ではありますが、’05年もブリヂストンタイヤで走ってくれていたらなぁ、と思ったりします。玉田さんは’06年もRC211Vで走りましたが、’07年にはヤマハに移籍し、ダンロップタイヤの開発を兼ねての参戦となりました。現在は長島哲太選手がダンロップタイヤの開発を兼ねて全日本を走っていますが、これと同様の状況だったわけです。

さまざまなクラスでトップを走りMotoGPでも優勝していただけに、日本人初の最高峰クラスチャンピオンの誕生を見てみたかった
さまざまなクラスでトップを走りMotoGPでも優勝していただけに、日本人初の最高峰クラスチャンピオンの誕生を見てみたかった

’08年からは5シーズン走ったモトGPからSBKに移籍。カワサキ、BMW、ホンダで5シーズンを走りました。そして’13年をもって引退となりました。それ以後は日本人のみならず、アジア圏の若手ライダーの育成に関わる仕事をされています。

玉田さんのライディングの特徴は、大きく上体をインに入れるフォームにありました。モトGPを走り始めた頃から研究をしていましたが、てっきりモトGP+ブリヂストンの組み合わせから、インに上体を入れるフォームになっていたと考えていました。

しかし、全日本時代の動画を見直したら、その時代から今を彷彿とさせるフォームでした。大排気量のスーパーバイク、GP250でもそうでしたから、玉田さんにはこのフォームが速く走るために必要で、現に何度も優勝をしていますから正解なのです。

インに大きく上体を入れるフォームは、背筋が自然に伸び、頭の位置もその流れでインに入ります。前乗りのため、外足ヒザは開き気味でした。ただ、色々なシーンを見ていると感じるのですが、上体がインに入りながらも、外足を利かそうとしているように見えました。

そんな玉田さんのフォームを見て思うのが、先述した「コレって今のモトGPライダーの乗り方だよね」ということなのです。

玉田選手とマルティン選手のフォームを比較してみてハッキリ分かるのが、頭の位置がマルティン選手の方が低いことです。肩からイン側の腕までが路面に接触しています。玉田さんは、大きく上体がインに入ってはいますが、無用な力が身体に入っていないように見えます。

この辺りの違いは、時代の違いだけではなく、タイヤのグリップ性能が玉田さんの頃(ブリヂストンタイヤ)から、一気に上がったことにも理由があると思います。ブリヂストンタイヤはエッジグリップが良かったため、不安感が無く上体をインに入れるフォームで走れるようになったのだろうと考えています。

ブリヂストンのエッジグリップの良さは、ワンメイクタイヤのサプライヤーがミシュランに移行した際、ハッキリしたように思います。ミシュランになってから、フロントが切っ掛けのスリップダウンが増えたように感じるからです。

もうひとつ、ブリヂストンのワンメイクになった頃から、ロッシ選手のフォームも大きく変わって来たと記憶しています。詳細に記録を取っているわけではないので、言い切ることはしません。憶測に過ぎないこともあるかもしれません……。

ただブリヂストンも、モトGPで信用され定着するまでには、玉田さんを始め悪戦苦闘している姿が、国際放送に何度か残されていました。中でも恐ろしかったのは’04年のイタリアGP。カワサキの中野真矢さんの、メインストレートでの大転倒でした。最高速地点あたりでのタイヤバーストによる大転倒で、中野さんはマシンから投げ出され、長い時間ストレートを滑ってしまいましたが、後続車が近くにいなかったことが幸いして無事でした。

このレースでは玉田さんにも同様の異変が発生していましたが、ブリヂストンに慣れていた玉田さんは異変に早く気付き、事前にリタイアしました。

そんな経験もあったブリヂストンタイヤですが、その後は改善されて素晴らしい性能を発揮し、モトGPライダー達のライディングの常識を変えていくこととなりました。現在のモトGPにも大きく影響を与えた玉田誠さんの功績の大きさに、尊敬の念をもっております。

ただやはり、最高峰クラスでの日本人世界チャンピオンの姿を見てみたかったです……。今シーズンからは小椋藍選手に、その期待を寄せようと思っています。早くモトGPよ、始まってくれ!

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