1. HOME
  2. COLUMN
  3. モーターサイクルライフ
  4. The Constructors モノを造るヒトの想い【佐藤健正さん|OVER RACING】

The Constructors モノを造るヒトの想い【佐藤健正さん|OVER RACING】

世界有数のバイク大国である日本には、バイクメーカーだけでなく、多くのモノ造りの達人が存在している。このページでは、そうしたコンストラクターの姿を紹介していきたいと考えている。今回は稀代のフレームビルダー、OVER RACING佐藤健正さんに話を聞いた。

【オーヴァーホールディングス:佐藤健正さん】’54年、熊本県に生まれる。実家は農家で、自然豊かな環境に育つ。高校卒業後にホンダに入社、モリワキを経て、’82 年にオーヴァーレーシングプロジェクツを創業。’12 年にオーヴァーホールディングスを分社化し、同社社長を務める

自分で考え自分で造ったバイクを走らせることは最高の快感

バイク業界に身を置く人なら珍しくはないが、OVER RACING創始者の佐藤健正さんも、幼少時から乗り物が大好きだった。けれど、小学生の頃にはミゼット(昭和30〜40年代にダイハツが製造していた三輪トラック)を〝所有〞していたいうからレベルが違う。成長するにしたがい、乗り物への情熱はエスカレート。中学生2年生の時、とうとう四輪車を自作してしまう。

「家族で遊びに出かけた時に乗ったゴーカートが楽しくてねえ。でも、家があったのは熊本の田舎でしたから、近くにゴーカートで遊べる施設なんかありません。せいぜい、年に1度くらいの楽しみでした。じゃあ、作ればいつでも乗れるだろうと」 

エンジンはスクーターのものを流用、フレームはリアカーを切った貼ったして製作。ステアリングは、四輪用の部品を加工して取り付けた。「溶接も、近所の鉄工所で道具を借りて自分でやりました。溶接面をつけずに溶接して、翌日目が開かないなんて経験もしましたね」 

完成したゴーカートは地元で大きな話題となり、自宅まで見物客が訪ねてくるほどだった。で、どこを走らせていたかというとパブリックスペースだ。今になってみれば如何なものか? と思えるが、周囲の反応は暖かかった。工業高校の教員から〝ウチの高校に来い〞とスカウトされたこともあったという。しかしある時、とうとうパトカーに止められてしまう。

「ベニヤ板で作った適当なナンバーを着けていたんです。それを咎められまして……。これは法律で定められた標識だから、勝手に造ったらダメだと。走り回っていたことについては何も言われませんでしたね」 

少年時代の健正さんは四輪車に夢中で、四輪デザイナーになるという夢を抱いていた。16歳で二輪免許を取得したのも、一刻も早くエンジン付きの乗り物に乗りたかっただけで本命は四輪だった。けれど、乗ってみるとバイクの面白さに魅せられた。当時はモトクロスブーム。健正さんもモトクロスレースに参戦するようになり、やがてレーサーとして身を立てたいと考えるようになる。

「レーサーになるにはどうしたらいいかと考えていたら、ホンダに社内レーシングチームがあって、働きながらレースができるということを聞いたんです」 

高校を卒業してホンダの鈴鹿製作所に就職。社内チームの鈴鹿レーシングの門を叩く。それまでモトクロスに熱中していた健正さんだったが、チームの先輩の手伝いで鈴鹿サーキットに通うようになり、ロードレースのスピードに魅せられてしまった。 

休日はサーキットで練習という日々を送るうち、モリワキエンジニアリング創始者、森脇護さんと出会い、モリワキの社員となった。

「モリワキでCB125のレーサーを造ることになりました。自分はホンダ時代にCB125のフレームを改造した経験がありましたから、フレームを作ってみよう……と」 

モリワキ初の市販レーサーME125誕生の陰には、健正さんの存在があったのだ。モリワキといえば、モリワキモンスターに代表されるようなオリジナルフレームのマシンが有名。健正さんがフレームを製作したのかと思ったら、じつはそうではないそうだ。

「森脇さんに、エンジンと車体どちらをやりたい? と聞かれて、深く考えずにエンジンと答えたら、そのままエンジン担当になりました」 

1981年の鈴鹿8耐で、ワイン・ガードナーが驚異的なラップタイムを叩き出したモリワキモンスターのエンジンも、健正さんが組み上げたもの。エンジンチューナーとして腕を磨きながら、市販パーツの開発と製造に取り組む日々を送った。 

そして、29歳の時に独立、オーヴァーレーシングプロジェクツを立ち上げる。健正さんのスキルを知るレース関係者から、すぐにパーツ製作やチューニングの依頼があり、レーシングチームの運営も任された。「知り合いのライダーが走るチームを探していて、スポンサーに紹介しにいったら『お金は出すから、オマエがチームをやれ』と」 

そして誕生したのが、OVER RAIDINGとして初のオリジナルフレームマシンOV‐01。ホンダC BX750のエンジンを使用した、全日本TT‐F1用のレーシングマシンだった。

OVフレームの開発の他、オーヴァーグループの旧車ブランド、モトジョイのメカニックとして、今も毎日現場に立ちゴッドハンドを振るっている健正さん

「フレーム製作を甘く考えていましたね。フレームを設計するのは初めてでしたから、基準が何もない。250㏄レーサーを参考にしたりしましたが、エンジンの搭載位置を決めるのには随分と苦労しました」 

OVシリーズはレース用フレームとして進化するのだが、ヤマハF ZR750エンジンを搭載したOV‐09を最後に、全日本参戦を終える。

「OVを造り始めた頃、市販車の車体はレースで使えるレベルではなくて、フレームを造ることが当たり前だったんです。ですが、RC30やOW‐01がメーカーから登場し、もうフレームを造る必要はない、TT‐F1をやる意味はないと思うようになりました」 

高性能なバイクがあれば、それを使うのがレースで成績を上げる常道だと思うのだが?

「自分はレースが仕事ではなく、モノを造りたい。他人の造ったバイクでレースを戦うことには、興味が持てなかった。自分が造ったバイクを走らせたかったんです」

そこで、オリジナルフレームが活躍できるシングルやツインのレースへと戦場を移す。OVレーサーは国内で圧倒的な強さを発揮。シングルレースの世界最高峰、ヨーロッパ・スーパーモノ選手権にも参戦し、2年連続でのチャンピオンも獲得した。「ヨーロッパのレースでは、自分たちのような小さな会社が造ったバイクが勝つと、もの凄く評価してくれる。嬉しかったですねえ」 

公道モデルも開発。ヤマハTDM850のエンジンを搭載したOV‐15A、ドゥカティ900SSエンジンを搭載したOV‐10Aが国内でも市販され、その軽快な乗り味が絶賛された。

「レーサーは造るばかりでしたから、公道モデルを完成させて、初めて自分の造ったバイクを自分で走らせることが出来た。我ながら、楽しいバイクが造れたなと感じました」 

その後もOVER RACINGはオリジナルフレームの開発を続け、最新作はOV‐43。ナンバリングの中には設計のみで実車の完成に至らなかったものもあるが、これだけ多くのフレーム製作実績があるコンストラクターは世界的にも珍しい。そして健正さんは、68歳となる今もフレーム製作の最前線に立つ。

「自分で考えたモノが、形になることがスゴく楽しい。カッコいいバイクを自分の手で造りたいんです。オリジナルエンジンの開発も何度か考えましたが、コストが莫大で難しい。ですが、単気筒OHVとかのシンプルなエンジンなら、自分が部品を手作りすれば実現可能かな? と考えています。造ってみたいですね」 

そう言って笑う健正さん。モノ造りへの情熱は、ゴーカートを自作した少年時代から何も変わってはいないようだ。 

OVER RACINGが造る、次のバイクが楽しみで仕方ない。健正さん手作りのエンジンが載せられているかもしれないのだから。

オリジナルバイクへの見果てぬ夢|OVシリーズの系譜

OVER RACINGのオリジナルフレームマシン、OVシリーズの全てを紹介するには本が1冊あっても足りない。ここでは、歴代マシンの中でマイルストーン的な意味を持つモデルをピックアップして紹介する。健正さんが、どれだけ多くの技術的挑戦に取り組んできたか、その一端だけでも感じ取っていただきたい。

1984年 OV-01

OVER RACINGとして初めて製作されたオリジナルフレームレーサー。全日本TT-F1参戦を目的に開発。アルミ製角パイプを使用したダブルクレードル形状のフレームに、エンジンはCBX750、足まわりの一部にはホンダの市販レーサーRS250用パーツを流用。

1984年 OV-01

1988年 OV-08

FZR750エンジンを搭載するTT-F1レーサー。現代においてもスーパースポーツで主流となっている、アルミ製ツインスパーフレームを採用。OV-01から、わずか4年後に製作されたもので、2台のマシンを見比べるだけでも飛躍的な技実力の進歩が感じられる。

1988年 OV-08

1995年 OV-10A

900SSの空冷Lツインを搭載する、公道走行可能なオリジナルマシン。オーヴァー独自のアルミ楕円パイプを使用したトレリスフレーム。国内向けで20台ほど、海外輸出用として50台ほどが生産された。OVER RACINGのオリジナルマシンを代表する1台。

1995年 OV-10A

1997年 OV-20

ヨーロッパ・スーパーモノ選手権参戦のために開発され、見事チャンピオンを獲得したマシン。アルミ楕円パイプフレームの集大成的存在。エンジンはヤマハのビッグオフローダーXTZ660で、ラムエアシステムを採用するなど、多くの新技術がトライされている。

1997年 OV-20

2009年 OV-31

現在のGP-3クラスのテスト的に行われていた、250cc単気筒エンジンを搭載するレーサーで争われるGP-MONO用フレーム。フレームは当時のMotoGPマシンで見られたアルミフルビレット製で、OVER RACINGの削り出し技術を大きく進歩させた。

2009年 OV-31

新世代OVレーサー OV-43

スチールパイプ製のトレリス構造のフレームは、カワサキNinja ZX-10Rのエンジンに合わせて設計。スーパースポーツでサーキットを走るのは本格的過ぎて気恥ずかしい、ネイキッドのスタイリングが好きだ、といった志向のユーザーに向け市販を前提に開発が行われた。コストを下げ、より気軽にマシン製作ができるよう、足まわりはZX-10Rのノーマルパーツが使用可能なように設計。5月に開催された、テイスト・オブ・ツクバに参戦。実戦テストが進められている。

新世代OVレーサー OV-43

関連記事