【フォトグラファー/桐島ローランドさん】チャレンジの傍らには、いつもバイクがある
写真家として活動しはじめてから、桐島さんは常にチャレンジを続けてきた。それは写真という本業にとどまらず趣味のバイクでも変わることはなく、もてぎ耐久レースでの入賞、アフリカ時代最後のパリダカへの参戦と完走など多岐にわたる。そして今、ライダーズカフェという新たなステージでチャレンジを続けている。
PHOTO/S.MAYUMI
TEXT/T.YAMASHITA
桐島さんが16歳になった頃、世間は第2次バイクブームの最高潮だった。当時の少年がそうであったように、桐島さんも通過儀礼のようにバイクの免許を取る。
「もともと自転車が好きだったし、自由を手にしたかった。それにバイクなら行動範囲が一気に広がる。それと、バイク漫画……バリバリ伝説、あいつとララバイ、ペリカンロード、ふたり鷹は全部読んでました」
最初のバイクはヤマハFZ400Rだった。東京で暮らしていた桐島さんは、湘南方面を目指して国道246号や第三京浜を西へ走ることが多かったという。
「テッパンの方程式ですよね(笑)。でもお金がないから基本は下道で、バイト代はほとんどガソリン代で消えてました。ガス欠してバイクを押したこともありましたね。たまに仲間と行ってましたけど、ひとりで走ることが多かったです。女の子を乗せたのは一度だけだったかな。峠にも行きましたけど、見せびらかすほどの腕はないと思いましたし、実は納車した翌日にツーリングの途中で事故をしたこともあって、運転は慎重になってましたね」
その後、ニューヨーク大学に通いはじめた2年目、桐島さんは遠出をするためにバイクを手に入れ
「R65を買ったのですが、あまり格好良くなかったのですぐに売って、R100GSに乗り替えました。でもBMWは乗ってみたらとてもいいバイクで、今でもR100GSがいちばんいいバイクだと思ってます。マンハッタンはタクシーが縦横無尽に走っているから命がけでしたけど、30分も走ると大自然が広がっているし、1時間も走ればワインディングもあって、ツーリングは楽しかったですね」
それまでの桐島さんは、バイクは好きだけどいわゆるファッションで、みんなが乗っているから乗った、という側面が強かったという。そんな気持ちに変化が起きはじめたのは、帰国後に日本で写真家として活動をしていた30歳の頃だ。
「自分のルーツを辿りたくなって、母の出身地である高知まで旅をしたんです。夏に行きたかったし、クルマだと渋滞がイヤなので、バイクで行こうと。それでブリティッシュビート(※東京・港区にある、主にイギリス旧車を扱う専門店)でサンダーバードスポーツを買って、納車されたその日に荷物を積んでそのまま首都高に乗って高知を目指しました。僕は城マニアでもあるので、城下町に寄りながら1週間かけて高知に行ったのですが、そのときに日本一周をしたくなり、その後5回に分けて全都道府県を巡ったし、ほぼすべての城を見物することもできました。クルマと違って、バイクは見える景色が全然違う。五感を刺激されるし、風景に溶け込んで一体化できるというか、無になれる。日頃のしがらみも忘れられるし、ひとりでいられることが心地良い。そうはいっても、僕は寂しがり屋でもあって、それがいいときもありますし、旅先では見知らぬ人との出会いもある。全国をツーリングしたことで、バイクとの関係が深くなった気がします」
その集大成といえるのが、最後のアフリカ開催となった’07年のパリダカだ。ヤマハ WR450Fのラリー仕様を駆り、初参戦にして完走を果たす偉業を成し遂げた。
「そもそもはオンロードでもっと速くなりたい、上手くなりたいと思ったことがきっかけなんです。丸山浩さんと出会い、いろいろ教えてもらいながらもて耐に出場するなどサーキット走行をしていたんですが、テールスライドが怖い。それならオフロードの練習をすれば克服できるんじゃないか、しかもレースに出ればモチベーションが上がって上達も早くなりそうと思い、’05年のラリーモンゴリアにエントリーしました」
ラリーモンゴリアはモンゴルの草原や砂漠を舞台としたラリーだが、日本から比較的近いこともあり、海外ラリーの登竜門になっている。しかし簡単ではなく、あらゆる路面状況が難度を高めているラリーだ。
「ぶっつけ本番での出場でした。初日から体力を奪われ、もうダメかと思ったりしましたが、3日目を過ぎたあたりから身体が慣れてきて、どうにか完走できました。日本では見られない景色や過酷な条件の道。どれもがラリーでしか体験できないものばかりで苦労しましたけど、完走できたことで自信にもなりました」
翌年にはパリダカの前哨戦ともいえるファラオラリーを完走し、いよいよ’07年のパリダカに参戦する。
「ラリーのアドバイスをいただいていた菅原義正さん(※’83年からパリダカに36回連続出場、20回完走、全クラス参戦の記録を持つラリードライバー)から、パリダカには出られるうちに出たほうがいいと言われてました。アマチュアからトッププロまで出場できる命がけのレースですし、僕も毎日がギリギリでした。転倒が焦りにつながってミスをする、その悪循環の繰り返しです。8日目の砂漠で、5mくらいの深いすり鉢状の谷でスタックしてしまい、灼熱の下で1時間ほどあがいてみたけどまったく出られない。諦めかけたとき、真っ直ぐに登るのではなく、砂の斜面に螺旋を描くように少しずつ登っていけば出られるのではないかと思いつきました。でも砂を掘り起こしてしまうから、チャンスは一度だけ。砂が硬い場所からスタートして、グルグルとすり鉢を上がって脱出できたときは思わず叫んだほどです。野生の本能をむき出しにしなければ生き残れない経験は貴重でした。僕は臆病なんですが、知らないこと、分からないことを怖がらなくていいということと、チャレンジが好きということを自覚しました。でも帰宅して1週間寝込むほど消耗したし、バイクレースでのチャレンジはこれでひと段落ですね」
今ではDOA(ドア・オブ・アドベンチャー。初心者からベテランまで参戦できる国内ラリー)が、桐島さんにとってちょうどよく楽しめるラリーで、テネレ700などで出場しているそうだ。また、50歳のときには、父のルーツを巡る旅としてスコットランドを訪ねるヨーロッパツーリングをしている。
「今は4〜5人でゆるく、楽しい旅をしたいですね」
バイクでのチャレンジはピークを過ぎたが、桐島さんのチャレンジスピリットが消えたわけではない。’14年には、人物や建造物などの立体物を100台以上のカメラで360度から同時撮影して3Dデータを作成する、日本初のフォトグラメトリースタジオを設立。近年はAIを使った創作にも取り組み、アートフォトの可能性を追求している。
そんな桐島さんの最新チャレンジが、神奈川・葉山にオープンしたライダーズカフェだ。
「前からやってみたいとは思っていたのですが、飲食業は未経験ですし、なかなかきっかけを見つけられなかったんです」
それはひとつの出会いが生み出した。バイクをはじめとする趣味の道具を保管しておくガレージを探していたとき、英国旧車カスタムで知られた専門店・幸福商會の物件が売りに出ていることを知人の伝手で知ったのだ。
「天井が高くて広い空間はクリエイティブな気持ちになれるし、やると決めたらすぐに行動するタイプなので、ここならカフェを開けると思えました。毎日がドキドキですが、お客様が喜ぶ笑顔を見たいですね」
店名のフェリシティ(Felicity)は幸福を意味する英語。もちろん幸福商會へのリスペクトも由来のひとつで、「訪れてくれたお客様に幸せを感じてもらいたい」という桐島さんの思いも込められている。
「ライダーズカフェでもありますが、地元のみなさんに愛される店にしたいし、女性客にもたくさん来てもらいたいです」
フェリシティカフェでは、撮影会や展示会、ワッフルのワークショップのほかアウトドアイベントも計画している。桐島さんのチャレンジはカフェ運営にとどまらず、より多くの人々に豊かなライフスタイルを提供していくことにあるのだ。
Felicity cafe
神奈川県三浦郡葉山町
上山口2432-3
営業時間 :
Instagram「felicity_hayama」にて